とても細かい子宮頸がんの日記。

子宮頸がんと診断されてからのあれこれをひたすらに細かく。

退院後、初の外来受診まで

5月2日に退院したのち、初の外来受診は5月8日でした。
尿トレ卒業と退院があまりにも早かったので、病理検査(手術で取ったものの精密な細胞検査)の結果が出るまでに一度様子を見せに来いと言われた次第です。

この数日間は寝たり起きたりしながら体力の回復を待つ日々でした。

大半は寝て過ごしていましたが、トイレへ立って歩くこともかなり負担になりました。膝も腰も痛くてガクガク。
もちろん手術の傷痕も力が入るたび痛みます。
しかもトイレについては3時間おきくらいに自分で意識して行かなければなりません。尿意というものが感知できなくなってしまったので、そうしなければ失禁や膀胱炎の危険があります。

力がすっかりなくなっていて、冷蔵庫のドアの開け閉めも困難になる、と脅かされていた意味がよくわかりました。
瓶の蓋なんて絶対無理でした。

この間しばしば友人や彼が様子を見がてらごはんを作りに来てくれたりしまして、とても嬉しく助かりました。
ありがとう。
ありがとう。

そして8日の外来では血液検査と内診があり、創部も術後の断端部も綺麗で問題ないとのこと。
あとは、病理の結果を待つばかりです。

その、次の外来は22日。
この日には病理の結果が判明しているはずなので、そこで今後の方針を決めるとのことでした。
でも抗癌剤治療が覆ることはまずないだろうとのこと。
逆に、予想以上に癌が広がっていた場合は放射線治療や再度の開腹手術の可能性もある、と言われていました。

抗癌剤については早々に仕方がないと思うことにしましたが、リンパ節への転移が見つかり再手術や放射線治療といった段階に進む、といったような事態への不安はかなりありました…。

お見舞いのこと

入院中、私は基本的にお見舞いはお断りしていました。
友人たちへも元気に退院してから遊んでね!という感じでお願いしておりました。
彼氏へも極力、来なくていいからと。
(その代わりベランダの植物たちへ水やりに通ってくれました。本当にどうもありがとう)

それでも一部「どうしても」と来てくれたひとたちがいましたが、そうして会いたがってくれたひとたちにも、私の言葉を尊重して控えてくれたひとたちにも、それぞれの気持ちが本当に嬉しく心から感謝しています。みんな大好き。

理由はいろいろあるのですが私個人的な理由としては
・病院となるとお見舞品も持ってきてしまわれるだろうし、いろいろ気を遣わせるのは申し訳ない。
・癌ということを当初は伏せていたので、癌病棟だと気づかれたくない。
・管やら袋やら繋がってボロボロの姿をお見せしたくない。

それと、考え過ぎかもしれませんがおなじ病棟の方々を思うと
・婦人科系の癌患者さんは全身脱毛していたりして、健康な人にじろじろ見られたくないのでは?
・子どもを望んでいながら子宮摘出された方などは子ども連れの見舞客を目にするのがつらいのでは?
(友人に小さな子どもをもつひとが何人かいるので)
(逆に、子どもの姿をみると元気が出る、嬉しい、というかたもいらっしゃるとは思いますが)
などという理由もありました。
…考えすぎでしたかねえ。

今振り返ると「来ないでね」というのは周囲を戸惑わせてしまっただろうなと思います。
言い方はいろいろあったでしょうに、配慮が足りなかったなといまは反省しています。

私みたいなお悩みをお持ちのかたがいらしたら、
・ミネラルウォーターなど、いくらあっても困らずあまり相手にも負担にならないようなものをこちらからお願いする(重たいので病院の売店で買っていただくとか、動けるなら一緒に歩いてみるのもありかと)。
・病院の売店や食堂にある商品で食べたいものがあるから一緒に食べて!と言ってみる(病棟で会うのを避ける)。
・子ども連れは丁重にご遠慮いただく(※)。

という感じで「よかったら顔を見せに来てくれると嬉しいな」と伝えてみるのはいかがでしょうか。

ちなみに私の入った病院では私みたいにほとんど訪問者の無いひともいれば、逆に毎日何人もひっきりなしにお見舞いの絶えないひともいました。
寂しくてたまらないというひともいるでしょうし、大事な人たちの顔を見ると元気が出る!というひともいますよね。
そのあたりはひとそれぞれだと思います。


※12歳未満の子どもさんについては、どんな病院でも本当は控えたほうがよいそうですね。はっきり禁止しているところも多いみたいです。特に子どもは大人よりもたくさんの強力な菌をもっている場合が多く、免疫力の下がっている患者には感染症の危険が増します。けっこう見ますけどね…それに、例えば子どもが病気のお母さんに会えないなんて、どちらにとってもつらすぎると思います。
※それどころか生花やぬいぐるみなども禁止している病院があるそうですね。大人の常識だったのかもしれませんが、私は恥ずかしながら今回調べるまで知りませんでした…とても勉強になりました。

手術後14日目 ~退院翌々日~

退院翌々日、にゃんこを連れて自宅へ戻りました。

どうしてもガマンができずに実家と自宅で掃除機や雑巾がけなどお掃除をしてしまったのですが、これが祟ってすぐに痛みがきつくなり発熱…。
夕方から寝込むことになりました。

「絶対に安静を保つこと」と言われていたのにすぐこの始末。
先生ごめんなさい。
じゃなくて、私の身体、ごめんなさい。

移動が大嫌いなにゃんこは帰宅後もお怒りで、なかなかゴロゴロも言ってくれません。
あちこちウロウロしては部屋の片隅で「シャーッ」と威嚇。
ごめんなさいごめんなさい。
でも、1時間くらいで落ち着いてくれたかな。
気づいたら枕の横でゴロンとしていました。

毛玉ちゃんのいる生活に戻ってこられて、嬉しい…。

夜は彼が立ち寄ってカレーを作ってくれました。
ありがとうありがとう。

手術後13日目 ~退院翌日~

退院の翌日は実家でゆっくりさせてもらい、その次の5月4日に自宅へ帰ることに。

大人になって実家を離れて以来、家業の手伝いを兼ね出来る限り週に一度は訪ねて家事をするようにしていましたが、じつはその都度体調を悪くしていました。
古い古ーい建売住宅の、カビやホコリや各種ダニ等がいけないのではと感じているのですが…。
母を早くに亡くしたのでいまは父が独り暮らしなのです。

入院中さらに荒れ果てていた家を見かねて、掃除や洗濯など動きまわってしまったことがいけませんでした。すぐに下腹部や関節の酷い痛みと発熱に襲われ、夜は熱も出して苦しみました。

超早期退院を許可していただく代わり「くれぐれも安静を保つこと」と申し渡されていたのに、まったく守れませんでしたね…。

これはでも、家庭の主婦のかたなどはどうしても皆さんそうなってしまうと思います。ご家族にしっかりお話してサポートしてもらわなければいけませんが、でも身体が勝手に動いちゃうんですよねー。家族には「大丈夫大丈夫」と言ってしまいますし、家族は家族で「案外大丈夫そうだな」と思われてしまいますしねー。

ちなみに退院後の薬は毎食後に便を軟らかくするマグミット1~2錠と腸を動かすセンノシド、毎食後+頓服で痛み止めのトラムセットとロキソプロフェン及び胃薬のレバミピド、夕食後に膀胱炎予防の抗生剤レボフロキサシン(これは残り数日分)、夜は眠剤のゾルビデムを服用しています。

手術後12日目 ~退院!~

2015年5月2日、退院日。
通算16日(うち外泊1回)でした。

夜中(26時頃)と朝方(5時頃)は、起こされなくてもトイレ起床できるようになりました。
これもいずれは、徐々に間隔を伸ばしていっても大丈夫になるそうです。もちろん夜間の水分摂取を控えるなどの節制は必要ですが。

最後の病院食となる朝食を済ませたあと、着替えて身の回りを片付け退院準備。
「忘れ物チェックリスト」を渡され、見落としがないよう確認しました。
昔から旅行の時など荷物を極限まで減らす派でしたが、今回も荷物は少なめコンパクト。なのであっという間です。
残薬及び退院後処方薬受け取り、あとは自宅で自己管理しながらの服薬になります。

9時半頃には会計も済みました。
入院患者へのアンケートというものがあり、なるほどと思ったり。
そして看護師さんの最終忘れ物チェックのあと、リストバンドのカット。入院中ずっと左手首に装着されていた抗菌樹脂製のリストバンドには氏名やID、血液型、病棟、それに薬剤確認時用のバーコードが記載されており入院患者の象徴!というアイテムでした。
あまり気にしたことはなかったつもりですが、取り外されてみるとずいぶんすっきりした気持ちになりました。

お世話になった看護師さんたちにしっかりご挨拶したいと思ったのですが、交代等でほとんど見つからず…そうかー、タイミングが大切でした。失敗。
同室で顔を合わせた方々にだけ簡単にご挨拶。
しかし考えてみたらまたすぐ、抗癌剤治療のために戻ってくるのですよね。

この日は父が迎えに来てくれて、そのまま実家へ行きました。

預けていたにゃんこは最初家具の裏に隠れてしまったのですが、覗き込んで名前を呼ぶと「え、まさか?」という顔になり、恐る恐る寄ってきてからはゴロッゴロ。本当に安心した顔をして、それからはずっと後をついてきて離れませんでした。ふだんはしないのに膝にどんどん乗ってきたり。
寂しい思いをさせて本当にごめんね…と胸が痛くなりました。
見向きもされなくなった父は「誰が面倒をみてやっていたかわかってるのか」と拗ねていました(笑)