とても細かい子宮頸がんの日記。

子宮頸がんと診断されてからのあれこれをひたすらに細かく。

退院後の生活 その4

2015年5月29日。

手術以来初の会社出勤、そして実家へ。
いくつかもっている仕事のうち、こちらは家業の手伝いのほうです。
ごくごく小規模のリフォーム会社といいますか設備屋さんでして。経理をみたり、多少の書類仕事や図面作成など。
体力的には夕方までなんとかなりましたが、でもずっと座って同じ姿勢を続けているとやはり下腹部から鼠径部が腫れて痛み、脚も浮腫むので、頻繁に立ちまわるなど気を遣いました。
夕方にはぐったり。

この夜抗癌剤治療の話をすると、父がかなりショックを受けていました。
手術ですっかり終わったと思っていた、と。

さらなる心配をかけて本当に申し訳ない…。
医師の言うまま抗癌剤を受け入れるのではなく、免疫療法を受ける気はないのか、とまで言われました。
母のときの経験から、抗癌剤には相当な抵抗感があるのはわかります。
でも話がいきなり進みすぎだし、そんな費用は支払えないし。

そこで胃癌で27年前に亡くなった母のときのことを、今まで避けていた部分も含めてぽつぽつと聞き出してみましたが、薄々感じていたことながら、父の中では相当に事実が物語と置き換わっているようでした。
当時の私達家族や本人や医師らの選択、説明に疑問をもつ点も多くあり…。
でもそれはいまさら言っても仕方がないし、当時といまとではまったく状況も違う。何もかもといっていいくらい違う。
まして当時は癌などの場合、本人へ告知をしないことが前提でした。
医師が家族と間違えていきなり本人に「癌ですからねえ」と伝えてしまう…というすごい事故もありましたが、最期まで母は、自分は癌だと知らないことになったまま、亡くなりました。

母は本当になにも言わずにいなくなってしまった…と、改めて思い出すたびに切なく感じます。

さて術創部分の痛みはどんどん軽くなったけれども、時折猛烈に痒いです。
特にドレーンをとっていた両方の下腹部の痕。
それと縫い目がかかるお臍の部分はときどき浸出液がみられます。
ぐりぐりお掃除したいけれども、まだ我慢我慢。